「この<52ヘルツのクジラ>の鳴き声は、あまりに高音で、他のクジラたちには聴こえない。だから、世界で一番孤独なクジラって言われてるんだー」
映画『52ヘルツのクジラたち』公式サイト
傷を抱え、東京から海辺の街の一軒家へと移り住んできた貴瑚は、虐待され、声を出せなくなった「ムシ」と呼ばれる少年と出会う。かつて自分も、家族に虐待され、搾取されてきた彼女は、少年を見過ごすことが出来ず、一緒に暮らし始める。やがて、夢も未来もなかった少年に、たった一つの“願い”が芽生える。その願いをかなえることを決心した貴瑚は、自身の声なきSOSを聴き取り救い出してくれた、今はもう会えない安吾とのかけがえのない日々に想いを馳せ、あの時、聴けなかった声を聴くために、もう一度 立ち上がる──。
映画『52ヘルツのクジラたち』鑑賞。
タイトルを見た時から、何となく切なさを感じてずっと気になっていた作品。もともと小説の方も気になっていたけれど、Netflixで配信が始まったのを機に視聴した。
見終わった後に強く感じたのは、「誰しも心の中で叫んでいる」ということ。
誰かひとりでもいいから、自分の苦しみに気付いてほしい。聞いてほしい。認めてほしい。
「自分は生きていても誰にも必要とされないんじゃないか」
そんな孤独や、未来に光が見えない感覚の描き方がとてもリアルだった。子供だから、大人だからという話ではなく、人間が生きていく上で誰もが抱えている不安なのかもしれない。
この作品は、そういう「助けて」が届かない人たちの物語だったように思う。そして改めて、人が生きる上で無償の愛ってものすごく大切なんだなと感じた。
目には見えないし、形もない。でも誰かに「そのままでいい」と肯定されることって、人間を救う力があるんだと思う。
親友・アンについては特に切なかった。
最終的に彼(彼女)の想いは受け継がれ、結果だけ見れば報われたとも言えるのかもしれない。それでも、生きている間に、そのままの彼を受け入れてくれる人がひとりでもいたなら……と考えると、どうしてももどかしさと悲しさが残る。
あと個人的に印象的だったのは「魂の番」という言葉。
正直、自分の中ではBL作品のオメガバースくらいでしか聞いたことがなかったので、最初はかなりロマンチックな響きに感じた。
でもこの作品で描かれていたものは、運命の恋人というより「この人の幸せを心から願える存在」に近かった気がする。
自分ではキナコの体も心も満たせない。
それでも相手の幸せを願い続ける。
その切なさとひたむきさに胸が締め付けられた。
幸せってすごく曖昧なものなのに、人は誰しもそれを求めて生きている。
だからこそ、キナコにとって美晴という唯一心を許せる理解者がいたことが救いだったし、「ムシ」と呼ばれ、居場所なく育った愛(いとし)が、これからは無償の愛と安心できる場所を得られるのだと思うと少し救われた。
52ヘルツのクジラは、他のクジラには声が届かないと言われている。
でもこの物語は、「届かない声」を持つ人たちが、たったひとりでも自分を見つけてくれる存在と出会う話だったのかもしれない。
優しい作品だった。